副総理や官房長官などを歴任し、情報収集力と鋭い行政判断などから「カミソリ」の異名をとった元自民党衆院議員の後藤田正晴(ごとうだ・まさはる)氏が19日午後8時53分、肺炎のため都内の病院で死去した。91歳だった。徳島県出身。
東大卒後、旧内務省入り。1969年に警察庁長官に就任し、よど号ハイジャック事件やあさま山荘事件などの過激派対策で指揮を執った。田中角栄元首相に請われ、官房副長官を経て政界入り。中曽根内閣の5年間は官房長官、行政管理庁長官など常に閣内にあった。宮沢内閣 では副総理・法相を務めた。86年の田中派分裂後は無派閥を通した。政治改革推進派で、憲法改正論議では護憲 派の立場を貫いた。96年の政界引退後も安全保障や危機管理の分野で積極的に発言を続けた。
日経新聞(9月21日)抜粋
出町柳コースケです。
僕は、この後藤田さんについて書かれた「後藤田正晴―異色官僚政治家の軌跡」 文春文庫 保阪 正康 (著)を読んでこの人物を尊敬するようになった。この人は、権力の中枢にいつつも謙虚にそして信念を貫くというなかなかできないことをやり通した珍しい政治家であった。
戦時中は内務省出身のキャリアとして、台湾総督府の重要ポストにあり、戦後は、自衛隊の前身である警察予備隊を組織たり、警察庁長官としても「浅間山荘事件」などの重要事件の解決するために尽力した。その後、政治家に転じて、田中派の参謀役として活躍し、中曽根内閣の官房長官時代には、政党政治家と霞ヶ関の官僚たちをとりまとめ、当時不可能とされた国鉄や電電公社の民営化等の「行財政改革」を断行し、自民・非自民双方から敬意を一身に集めた人物なのである。
先の書物には、図抜けた判断力や 実行力の裏には常に緻密な情報収集と冷徹なまでの分析があり、弛まぬ努力と氏の負けず嫌いの性格と粘りが勝負どころでは結果を出すことにつながった経緯が書かれていた。
あまりにも、強大な力を持ってしまった小泉自民党が立ち上がった日に「政界のご意見番」の悲報を聞くなんて時代の流れを象徴しているようで少し怖いが、後藤田正晴のような偉大な先人を目指すような政治家が出てくることを願うばかりである。
【世の中のできごと。の最新記事】


